記事は「空をかついで~shon'jir~」へと引き継ぎ、鋼語りはまだまだ続きます。
現実の世界へ [雑感]
この時期なだけに一言。「鋼の錬金術師」コミックス最終巻ネタばれ有。←ほんとに今更ですがそういう人もいるよね。
まず、「うしおととら」の話から行きます。
「うしおととら」におけるファンタジーは「妖怪」の存在だと思うのです。
主人公の潮は、とらと出会うことでそのファンタジーの世界に飛び込んで行きます。
読んでいる読者も、そこで潮と共に「漫画の世界」(=で繋ぐにはちょっと抵抗があるけど)「現実に無い世界」に入り込んでいきます。
で、最終回。
と
らは主人公の一人で在りながら最後は消滅してしまいます。潮のもとからはいなくなってしまう。多くの妖怪たちも。それは最初に潮がとらと出会うことで始
まったこの物語の終わりを象徴しているのであって、それはファンタジーの世界から潮が現実の世界へと戻ってきたことを表しているのかなあ?と思います。
潮はとらというファンタジーを失って、その代わりに両親を得て(取り戻して?)現実の世界を生きていくことになる。そして大団円でハッピーエンドで在りながらどことなく寂しい気持ち、切ない気持を残しながら私たちは素敵な物語の世界から現実の世界に引き戻される…。
そんなことをぼんやりと考えていた、その時点で鋼の事は微塵も考えていなかったのですが…。
「鋼の錬金術師」にもこのパターンがはまるんじゃないかと、ふと、思ってしまった訳です。
鋼におけるファンタジーってやっぱり錬金術でしょう。
その象徴はアル…なのかな?魂を錬成された(とされる)空っぽの鎧。
第
一話でエドの錬金術とアルのその姿を見せられて、読者はこの漫画の世界に引き込まれていく…う~ん。鋼の場合機械鎧も外せない重要アイテムだから全く一緒
とは言えないけど、この場合それは置いといてもいいかな。ここでは極端に現実離れしたものの存在について考えてみたいから。
そう考えると鋼の最後もファンタジーの終焉ということになりそうな気がします。
アルは自分の肉体を取り戻し現実の世界に帰ってくる事ができたし、その引き換えにエドが失った…というよりは捨ててきたものが錬金術そのもの。
鋼の中のファンタジーの胆ともいえる二つを失って、彼らはあの物語の中で現実に根付いた生活を始めることになり、私たちも彼らの物語の中から現実へと戻される…。
エドの錬金術に関しては色々な解釈があるし、私は以前の記事では違う事を書いていたと思います。どちらが正論という訳でもないけれど、こういう考え方もあっていいのかな~と思います。
相変わらず思ったことをつらつらと書き連ねているだけで纏まりの無い文章ですみません。
「ファンタジー」の定義については奥が深すぎてついてゆけませんが、ここではそういう難しいことではなく「現実的でないもの」「幻想的なモノ」といったニュアンスで書いていますので察していただけるとありがたいです。
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